【第15回】ヤマタノオロチ伝説から縁結びの聖地へ~八重垣神社(2026/8/26)

古事記・日本書紀に登場する「神社・史跡を回る旅」の第15回は、島根県の松江市に所在する八重垣神社です。
島根県は古代は出雲と称された古事記・日本書紀に頻出する重要な地で、このブログでも第6回の「黄泉比良坂と揖夜神社」、第7回の「須我神社」で訪問しており、今回が3回目となります。
本神社は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後に、お救いになった稲田姫と夫婦になって、この地に宮造りをされたことが由緒になっています。

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旅程

松江駅には大阪や三宮から高速バスが出ていますので、三宮から神姫バスで行きました。松江駅からは八重垣神社行きのバスが1時間に1本運行していますので、それを利用しました。

(8時)神戸三宮より神姫バスに乗車→ (11時50分)松江駅到着(駅周辺でランチ)
(12時55分)松江駅5番乗り場から八重垣神社行きのバスに乗車→(13時15分~)八重垣神社に到着し参拝、社務所で御朱印を依頼→ (13時25分)御本殿壁画を拝観→(13時30分~)境内社を参拝→(13時40分~)奥の院の鏡の池見学→(13時55分)社務所で御朱印受領→(14時00分)参拝者休憩所に立ち寄り→(14時20分)→近藤商店で八重垣せんべいを購入→(14時32分)松江駅行きのバスに乗車→(14時55分)松江駅に到着

古事記との関連

古事記によると、素盞嗚尊(スサノオノミコト)は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後に、命を救った稲田姫命(イナダヒメノミコト)を娶って共に住むために出雲国によい場所を探して宮殿を造ります。その際に作った歌の中に「八重垣」という言葉が何度も出て来ます。「八重垣」は「幾重もの垣」という意味です。

【古事記 上つ巻】八俣の大蛇
(八俣の大蛇を退治した後に)湏佐之男命(スサノオノミコト)は宮殿を造るべき所を、出雲国にお求めになった。そして湏賀という所にお行きになって、「この所に来て、我が心はすがすがしい」とおっしゃって、その地に宮殿を造ってお住みになった。それでその地を今、湏賀という。この大神が、初め湏賀宮をお造りになった時、その地から雲が立ち騰った。そこで御歌をお作りになった。その歌にいう、  
 八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき)
 妻籠みに
(つまごみに) 八重垣作る
 その八重垣を

(意味)「雲が盛んに湧き上がり八雲立つ出雲の地に 幾重にも垣を築き 妻を籠らせに 垣を重ね作る その八重もの垣よ」
(引用文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)

そして古事記では、素盞嗚尊と稲田姫命が夫婦となって生んだ神の子孫が、因幡の白うさぎで有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)とされています。なお、宮殿が造られた場所の「湏賀」には須我神社というこちらも由緒のある神社があり、このブログの第7回で紹介していますので、興味がある方はこちらにも参拝されてもよいと思います。

御祭神

御祭神:素盞嗚尊(スサノオノミコト)
    稲田姫命(イナダヒメノミコト)
    大己貴命(オオアナムチノカミ)(大国主命オオクニヌシノミコト)
    青幡佐久佐日古命(佐草宮司先祖神)

素盞嗚尊(スサノオノミコト)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)の2柱の神様は、上記の古事記の通り、素盞嗚尊は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後に稲田姫命を娶って夫婦になったという経緯を踏まえれば納得ですね。そしてこのお二人の大神が現在まで続く縁結びの由来になったわけです。

3柱目の御祭神の大己貴命(オオアナムチノカミ)は大国主命(オオクニヌシノミコト)というお名前の方がよく知られていると思いますが、「因幡の白兎(イナバノシロウサギ)伝説」でも有名な、出雲から日本の国を作った神様です。日本書紀の正文では素盞嗚尊と稲田姫命の息子とされている一方で、古事記では素盞嗚尊の六世の孫とされていますが、いずれにしてもお二人の子孫であることは一致しています。

4柱目の御祭神の青幡佐久佐日古命(アオハタサクサヒコノミコト)は、古事記・日本書紀ではなく出雲風土記に登場する神様のようで、八重垣神社の佐草宮司の先祖神とのことです。

参拝の記録

八重垣神社参拝

松江駅からは1時間に1本、八重垣神社行きのバスが出ています。公式HPには4番乗り場から乗車と記載がありますが、現在は5番乗り場です。

20分ほどで終点の八重垣神社に到着しました。交通系ICが使えました。
バスを降りると目の前に夫婦椿(連理玉椿)が現れます。稲田姫命が2本の椿の枝を立てたところ、それが芽を出し一身同体、愛の象徴として神聖視されるようになったと伝えられる椿です。それ以外にも境内には社殿横の乙女椿、佐久佐女の森入口の子宝椿と3本の夫婦椿があります。

夫婦椿(連理玉椿)

夫婦椿(連理玉椿)から道路を挟んで向かい側が八重垣神社の入口です。割と珍しい木の鳥居でした。

鳥居をくぐると、すぐ随身門があります。その奥に拝殿が見える通り、こじんまりとした社です。

随身門を通過して後ろから振り返った写真です。左右に顔が少し欠けた時代を感じさせる狛犬が並んでいました。

いよいよ拝殿でお参りです。立派な注連縄(しめなわ)が出雲の国の神社らしいです。背景の雲も見事でした。

拝殿を右手から横に廻ると拝殿の後ろの本殿が見えます。本殿は妻入(つまいり)が特徴の出雲大社に代表される大社造りです。

八重垣神社には6社の境内社があります。写真の「伊勢宮」の御祭神の天照大御神は日本の総氏神様です。伊勢神宮には長らく参拝していないので、こちらでお参りをさせて頂きました。

伊勢宮

拝殿と本殿を一周すると、古事記との関連で紹介した「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を」の歌碑がありました。

「板絵著色神像」見学と御朱印

参拝が終了したところで、拝殿の右手にある神札授与所に行って御朱印をお願いしました。御朱印帳を預けて、暫くしたら引換券を呈示して受領する形でしたので、その間に宝物収蔵庫にある「板絵著色神像」を見学することにしました。

神札授与所

宝物収蔵庫の入口に神社の人はいませんので、まず神札授与所で200円の拝観料を払い、渡された八重垣神社のパンフレットを持って勝手に入ることになります。

撮影禁止ですので中の写真はありませんが、板絵三面に素盞嗚尊、稲田姫命、天照大神、市杵嶋姫命、脚摩乳命、手摩乳命の六神像が描かれていました。脚摩乳命(アシナヅチノミコト)と手摩乳命(テナヅチノミコト)は稲田姫命の両親です。

西暦893年、平安時代の宮廷画家・巨勢金岡の筆と伝えられ、国の重要文化財に指定されている作品を目の前で見ることができる貴重な機会でした。公式HPに像の一部の写真が公開されています。

宝物収蔵庫

「奥の院」に立ち寄った後に、神札授与所に戻って御朱印を頂きました。いたってシンプルです。

「奥の院」と「鏡の池」

続いて縁占いで有名な「鏡の池」がある「奥の院」に向かいました。八重垣神社の奥の出口に2つ目の夫婦椿の乙女椿がありました。乙女というだけあってまだ若木のようですが、やはり2つの幹が一つになっているのがわかります。

途中に小泉八雲夫婦の八重垣神社訪問が紹介されていました。明治時代に小泉八雲の奥様が鏡の池で「縁結び占い」をしたと知り少し驚きました。

「奥の院」に入るとすぐ、3本目の夫婦椿の「子宝椿」が目に飛び込んできました。

更に進むと「鏡の池」に到着しました。池に占い用紙を浮かべ、硬貨(十円または百円)を乗せて縁結びを占うとのこと。占い用紙は神札授与所で購入できます。

公式ホームページより

私は今更ご縁を占う年ではありませんのでやりませんでしたが、ひっきりなしに占いをする人が訪れていました。

占いの代わりに「鏡の池」の奥にひっそり佇む、「天鏡神社」にお参りして参拝を終了しました。

参拝者休憩所と子宝飴

以上で参拝は終了しましたが、松江駅に戻るバスが1時間に1本で、まだ30分ほど時間があったので、神札授与所で御朱印を受け取った後に、神札授与所の建物の左奥にある参拝者休憩所に立ち寄りました。この日はかなり暑かったので、冷房の効いている休憩所がありがたかったです。

最後に神社を出た目の前にある、「子宝飴」という看板とのれんが目立つ売店に立ち寄ってみました。子宝飴を買う年ではないので、みそ味の八重垣せんべいを購入しましたが、素朴なやさしい味で帰宅後に美味しく頂きました。

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