古事記・日本書紀に登場する「神社・史跡を回る旅」の第16回は、新潟県の糸魚川市に所在する奴奈川神社です。
古事記によると、出雲(現在の島根県)で国造りに励む大国主命は、越国(現在の北陸地方)の奴奈川姫と結婚しようとはるばる求婚にやってきます。
越国は当時貴重品であったヒスイの国内唯一の産地で、その地を統治する奴奈川姫はヒスイの化身とされていたそうですが、大国主命が遠く越国まで足を運んだ理由はその貴重なヒスイに惹かれたからとも言えそうです。
なおその後ヒスイの価値が下がったせいか、奴奈川神社はいくつか地を経て遷宮された結果、現在は天津神社の境内社になっています。
旅程
今回は前日東京のイベントに参加してそのまま一泊した関係で、翌朝東京を出発して糸魚川に行き、日帰りで関西に戻るルートを選びました。
(7時52分)東京駅で北陸新幹線に乗車→ (10時10分)糸魚川駅到着→ (10時40分~)奴奈川神社に到着し参拝→ (11時10分)社務所で御朱印を受領→(11時30分~)重寿司でランチ→(12時12分)日本海ひすいラインの糸魚川駅で乗車→(12時14分)えちご押上ひすい海岸駅到着→(12時20分~)ヒスイ海岸でヒスイ探し→(12時55分)えちご押上ひすい海岸駅より乗車→(12時57分)糸魚川駅到着→(13時27分)北陸新幹線乗車→(15時16分)敦賀駅に到着→(15時44分)特急サンダーバードに乗車→(17時6分)大阪駅到着
古事記との関連
古事記によると、大国主命(古事記の文中では別名の八千矛神として表記)は、越国(北陸地方)に奴奈川姫という賢く美しい姫がいるとお聞きになって、求婚するためにその家に行って歌をお詠みになります。それに応えて姫が読んだ歌がなかなか艶っぽくて古事記の神話の中でも異彩を放っています。
【古事記 上つ巻】八千矛神の歌物語
まず大国主命(八千矛神)がお詠みになった歌ですが、結構長いので前半部分を紹介します。大国主の命が遠い越国に行って求婚した場面が描かれています。
八千矛の神の命は
八島国 妻娶きかねて
遠々し高志の国に
賢し女を ありと聞かして
麗し女を ありと聞こして
さ呼ばひに あり立たし
呼ばひに あり通はせ
(意味)「八千矛の神の命は、あまたの島・国に妻たるべき女がいないと、遠い遠い越国に賢い女がいると聞かれ、美しい女がいると聞かれ、求婚に女の戸口にお立ちになり、求婚にお通いになり~」
応えて奴奈川姫が詠んだ歌の一部が以下のようなもので、その晩は大国主命の誘いを断りますが、次の日の夜にお会いになったとのことです。
青山に日が隠らば
ぬばたまの 夜は出でなむ
朝日の咲み栄え来て
栲綱の白き腕
沫雪のわかやる胸を
そだたき たたきまながり
真玉手 玉手差し纒き
股長に 寝は寝さむを
あやに な恋ひきこし
(意味)「青い山に日が沈んだならば (ぬばたまの)夜にあなた様はお出でくださいませ。 あたかも朝日のようににこやかに来て、 (楮の綱のような)白いわたしの腕、 (泡雪のような)若やいでいるわたしの胸をやさしく愛撫し、また愛撫し抱擁し、あなたの手とわたしの手を絡み合わせ、股ものびのびとお休みなさいましょうものを、いまはむやみに恋いなさいますな~」
(引用文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)
奴奈川姫の歌を見てどう思われましたか? 古事記には他にも例えばイザナギ・イザナミの国生みで、当時の日本人の性に対するおおらかな表現を感じる表現があります。
御祭神
◼︎奴奈川媛命(ぬながわひめのみこと)
◼︎八千矛命(やちほこのみこと)
先ほど古事記殿関連で紹介した二柱の神が御祭神として祀られています。
公式HPによると、「この地方はかつて「沼川郷」と称され、奴奈川媛命が住んでいたとされる場所で、八千矛命(大国主命)が遠くの海を渡り、この地に上陸して媛と契りを結んだという歴史的な事実と、建御名方命が姫川の渓谷を辿り信濃路に進み、遠近を開拓し統治したとする伝説が生まれた地として知られている」とのことです。
参拝の記録
奴奈川神社へのルート
奴奈川神社には糸魚川駅から歩いて10分程度で行くことができます。南口(アルプス口)から出なければいけないのですが、間違って北口(日本海口)から降りてしまいました。そのお陰で、駅前の広場にある奴奈川姫像と出会うことができました。左手の手のひらの上に捧げている玉はヒスイなんでしょうね。

グーグルマップで徒歩で行く経路を調べると、以下のように東側から迂回するルートが表示されました。神社の入り口が東側にあるのかなと思ってこのルートに従って行きましたが、帰りに正しい入り口ではなかったことがわかりました。後程詳しくご説明しますが、徒歩で行かれる方はご注意ください。

地図の通り進むと鳥居が見えて来ました。神社に到着と思いましたが、後程、正門は別にあることがわかりました。

奴奈川神社参拝
鳥居を通るとすぐ左手に手水舎がありました。見ての通り水道の蛇口をひねると水が出る簡素なもので、上を覆う屋根もないため、少し違和感を感じつつもこちらで手水を使いました。

更に進むと2つの建物が見えて来ました。楽舎と衣紋所です。「楽舎」は神事や祭礼の際に雅楽・神楽を演奏する楽人(演奏者)が着座・演奏するための施設で、衣紋所はその際に装束を着付ける場所です。

楽舎と衣紋所の間を抜けると拝殿に到着しました。茅葺屋根の拝殿は珍しいですが、堂々とした風格を感じました。寛文2年(1662)建立されたとのことです。

お参りしようと階段を上がると、廊下に上がるようになっていましたので、靴を脱いで参拝しました。中は畳になっていて正面に天津神社、左手に奴奈川神社の額が飾ってありました。

参拝後、外に出ようと思いましたが、雨が急に激しくなってきました。ほかに参拝客はいなかったため、雨が収まらないかと思い、廊下の上で暫く休憩しました。拝殿から見た景色は以下のような感じです。雨に打たれた楽舎と衣紋所が佇んでいる感じに趣がありました。

廊下の突き当りに木彫りの白馬像がありました。昭和以前に奉納されたものです。その昔、五穀豊穣を祈って白馬を奉納することが良いとされていましたが、それが転じて白馬の木彫の奉納に繋がり、今では絵馬の奉納へ形を変えたとのことです。

幸いに5分ほどで雨が小降りになったので拝殿の外に出ました。左側から回り込んで見た拝殿も雰囲気がありました。

更に奥に進むと、小ぶりな二つの御本殿が見えて来ました。通常は拝殿に繋がっているのですが、当社は天津神社と奴奈川神社の2つの御本殿があるため、このように拝殿と離れた場所に配置にしているのかも知れません。

正面から見た奴奈川神社の御本殿です。

2つの御本殿を通り過ぎると、摂末社の子聖社がありましたので、こちらにもお参りしました。御祭神は天長9年(832)生まれの子聖上人という方で、足腰守護・健康の神としても信仰されているとのことです。

お参りが終了したため、御朱印を頂くために社務所に向かいました。社務所という表示がなく、普通の住居に見えたのでここでよいか迷いましたが、中に入るとお守りなどが展示されていたため、社務所とわかり安心しました。ところが、何回か声をかけても誰も出てこないので、せっかく新潟まで来たのに残念でしたが諦めて立ち去りました。

帰りに糸魚川歴史民俗資料館に立ち寄ろうと思い、来たときとは違う道から神社の外にでて歩いていると、左手に別の鳥居(北鳥居)があることに気づき、確認することにしました。

鳥居をくぐると、屋根のあるしっかりした手水舎があり、こちらが本来の入口ではないかと思いました。

更に進むと正面に旧社務所があり、そこを左に曲がると2対の狛犬が現れました。

そこから入ると再び神社の境内に戻ることができました。

御朱印
再度境内に入ったのでダメもとで、もう一度社務所に立ち寄りました。先ほどから10分ほどしか経っていませんでしたが、中に入って声をかけると、今度はすぐ女性の宮司さん?が出てこられました。御朱印をお願いすると「書き置きしかありませんが」と言われましたが、御朱印を頂けるだけでありがたいと思いお願いしました。
とても迫力のある御朱印で、諦めずに社務所に来て本当によかったと思いました。

御朱印を頂く際に、神社の入口についてお伺いすると、やはり2番目に入った北鳥居が神社の入口で、駅にもそちらの方が近いとのことでしたので、グーグルマップの推奨のように遠回りする必要はありませんでした。
以上で参拝は終了したので、糸魚川歴史民俗資料館(相馬御風記念館)に立ち寄ったのですが、残念ながら月曜日は定休日で入れなかったので、駅の近くの重寿司でランチを食べることにしました。
ヒスイ海岸
昼食後、まだ時間があったので、今なおヒスイが見つかるというヒスイ海岸に行くことにしました。
ヒスイ海岸には日本海ひすいラインの糸魚川駅から乗車して、1駅後のえちご押上ひすい海岸駅で下車して5分ほど歩くと到着します。
駅の改札口を通ろうとすると、「切符をお願いします」と言われましたので、慌てて切符売り場に戻って切符を購入しました。電車は1両のみの可愛い車両でした。

えちご押上ひすい海岸駅は無人駅なので、下車する際には車両の一番前の運転手さんに切符を手渡しする必要があります。駅について停車しても、列車のドアはボタンを押さないと開かないので要注意です。

えちご押上ひすい海岸駅で下車して5分ほど歩くとヒスイ海岸に到着しました。看板にはヒスイ探しのコツなどが記載されていました。幸いにも雨が止んだのでヒスイ探しをしてみることにしました。

海岸に降りると天気がよくないにもかかわらず、ヒスイ探しをしている人が結構いました。大国主命はその昔出雲から船で来て、この海岸に漕ぎ寄せたのかも知れないと思いました。

浜辺には色とりどりの石がありましたが、この中からヒスイを見つけるのは大変だと思いました。
いくつかこれはと思った石を拾ってAIに聞いて見ましたが、どれもヒスイではないと言われたので、諦めて帰途につきました。

糸魚川駅へ戻る駅は、到着した駅とは少し離れた場所にありました。

この駅は無人駅で切符を売る機械もないのでどうするのかと思ったら、乗車した際に運転手さんに現金を払って、手で記入した紙を頂き、これを出口の改札で切符代わりに手渡しました。少し面倒なので、最初に往復切符を買っておけばよかったと思いました。

以上で、今回の参拝記録は終了です。
雨に降られたのは残念でしたが、大国主命と奴奈川姫の神代時代の恋に思いを馳せながら、神社やヒスイ海岸をゆっくりと訪問できたのは、とてもよい思い出になりました。

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