古事記に登場する神社・史跡を回る旅の第6回では、少し遠出して多くの神話が残る島根県(古代では出雲国)を訪れました。せっかく遠出するので松江駅周辺に1泊することにして、初日は黄泉比良坂(よもつひらさか)と揖夜(いや)神社を訪れました。2日目に訪問した須我神社に関しては、次回レポートします。
黄泉比良坂と揖夜神社は共に、古事記で最も有名な逸話の一つ、伊耶那岐命(イザナギノミコト)が亡くなった妻の伊耶那美命(イザナミノミコト)を追いかけて黄泉の国に行ったものの、変わり果てた妻の姿を見て逃げ帰る場面で登場します。
約2時間をかけて以下の順に廻りました。
(12時28分) 山陰本線 揖屋駅到着 → (12時40分) 駅に隣接する東出雲町情報案内所でレンタサイクルを借りて揖屋駅出発 → (12時52分~)揖夜神社を参拝 → (13時15分) 御朱印を受領 → (13時40分~) 御食事処 あけぼので昼食→(14時7分)黄泉比良坂(伊賦夜坂(いふやざか))到着→(14時20分)御朱印を受領
古事記との関連
古事記では、以下の場面で黄泉比良坂と揖夜神社が出て来ます。
あれほど仲良く国生み・神生みをされた、伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)が黄泉の国で永遠の別れを告げるエピソードは、古事記の中で最も有名かも知れません。
今回お参りしたのは、二人が別れを告げた黄泉の国との出入り口があった黄泉比良坂と、その坂の別名イフヤ坂にちなんだ名前を持つ揖夜神社です。
【上つ巻】黄泉の国
いちばん後から妻の伊耶那美命自身が追いかけて来た。そこで伊耶那岐命は千人力でなければ引けない大岩を引っぱって来てその黄泉比良坂を塞いで、その岩を真ん中にして二神が向かい合って立ち、伊耶那岐命が離婚の呪言を言い渡した
~中略~
そういうわけで伊耶那美命を名付けて黄泉大神(よもつおおかみ)という。またその黄泉の坂に塞がった岩は道反之大神と名付け、また塞いでいらっしゃる黄泉戸大神ともいう。ここにいうところの黄泉比良坂は、今の出雲国のイフヤ坂だという。
(参考文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)
御祭神
揖夜神社の御祭神は下記の四柱の神様です。妻の伊邪那美神だけが祀られているのが、黄泉比良坂での二人の別れを象徴しているように思いました。
大巳貴命は「因幡の白兎」や「国譲り」で有名な出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名です。
- 伊弉冉命(いざなみのみこと)(古事記の表記は伊耶那美命)
- 大巳貴命(おおなむちのみこと)
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)
- 事代主命(ことしろぬしのみこと)
参拝の記録
最寄り駅で自転車をレンタル
午前中に高速バスで松江駅に到着したため、揖夜神社には松江駅から山陰本線で行きました。
揖屋駅までは2駅で乗車時間は11分と近いのですが、1時間~1時間半に1本しかないので、時刻表をチェックして行き帰りに乗る電車を決めた方がよいでしょう。

駅に隣接して、「松江市情報案内所 東出雲まちの駅」があります。こちらでレンタサイクルをお借りしました。
電動自転車はありませんが、2時間で300円とリーズナブルな価格でした。
また、こちらでは帰りの電車を待つ間にコーヒーを頂きましたが、とても美味しかったです。

揖夜神社に到着
10分ほどで揖夜神社の入口に到着しました。
大社ではありませんが、静かで落ち着きがある、雰囲気のよい社です。

古事記では黄泉比良坂を今のイフヤ坂と記してありますが、この神社は出雲国風土記では伊布夜社(イフヤのやしろ)と書かれていたとのことで、黄泉比良坂との繋がりを感じました。

隋神門からご神木と荒神社へ
随神門に到着しました。出雲の社らしく大きな注連縄(しめなわ)が目を引きます。奥行きのある敷地が見えて開放感がありました。

中に入ると右手にご神木が聳えていました。推定樹齢600年の椎の木です。
実際に見ると写真以上の迫力がありました。

その付近には荒神社と大蛇神がありました。祭神は須佐之男命で「あら神さん」といわれ、藁蛇を地元では「チーナマイト」と呼んでいるとのこと。
天を追われた須佐之男命が出雲で退治したヤマタノオロチと並んで祀られているのが面白いですね。

拝殿でお参りして本殿の周りを散策
こちらの拝殿でお参りしました。随神門より更に大きな注連縄が見事です。

拝殿の中は、正面に揖夜神社の額縁があり、その下の台の上には円鏡が備えられていました。
よく見ると自分の姿が鏡に映りこんでいて少し怖かったです。
奥に見えるのは本殿に続く階段ですが、本殿は正面からは見えません。

横から曲がりこんで上に上がると、斜めからではありますが、本殿の全体像を見ることができました。
出雲大社に代表される日本最古の神社建築様式の一つの「大社造(たいしゃづくり)」です。

稲荷神社にもお参り
拝殿の右奥に進んで行くと、上り坂の小径の入口に稲荷神社の赤い鳥居に出逢いました。
そこを進むとまた赤い鳥居があり、階段を上ると小ぶりな礼拝所あったのでお参りしました。


御朱印
以上で、揖夜神社の参拝は終わりましたので、最後に社務所に立ち寄って御朱印を頂きました。

揖屋神社の御紋と出雲国の表記のある御朱印でした。

「御食事処 あけぼの」で昼食
13時を過ぎていたので昼食を取ることにしました。最初は揖屋神社からそれほど離れていない、「海鮮うまいもん料理 京らぎ 揖屋店」に行きましたが「20分待ち」という看板が出ており、帰りの電車に間に合わなくなるかもと思ったので、少し遠いですが「御食事処 あけぼの」に行きました。

Google Mapの評価通り庶民的なお店でしたが、結構ボリュームのある牛肉の焼肉定食が1,000円とコスパがよく、味も満足できるものでした。
徒歩で行くのは厳しい距離でしたので、レンタサイクルを借りてよかったと思いました。

黄泉比良坂
食事を済ませて191号線を揖夜神社方面に戻ると、黄泉比良坂に向かう道が左手にありました。そこをさらに進むと、いよいよ黄泉比良坂の入口になります。


坂を上がり始めるとすぐ左手に平賀公会堂があります。レンタサイクルを借りる際に、女性の店員さんに黄泉比良坂に行くと話すと、「坂は急なので自転車は公会堂でお願いして置かせてもらった方がよい」と親切なアドバイスを頂きましたので、その通りにして、公会堂からは徒歩で坂をあがりました。
公会堂から10分弱で、黄泉比良坂(伊賦夜坂(イフヤザカ))の頂上に到着しました。

付近に桃の木が植えてありました。
古事記ではイザナギノミコトが黄泉の国から逃げ出す際に、「追いかけてきた黄泉軍に対して、黄泉比良坂の坂のふもとに生えていた桃の実三個を投げつけると、桃の呪術的魔除けの力を受けて、黄泉軍がすべて引き返した」という記載があります。
こちらに植えられている桃の木は、原種の桃と同種の「オハツモモ」とのことです。

右手から小径を上がって行くと、黄泉比良坂史跡の入口がありました。

鳥居のような入口から入ると、奥に2つの岩がありました。古事記では「イザナギノミコトが『千引の大石』(千人力でなければ引けない大岩)を引っぱって来て黄泉比良坂を塞いだ」とあります。
この岩はそこまで大きくはありませんが、その「千引の岩」を彷彿させました。
なお、左手に見えるのは「天国(黄泉の国)への手紙」のポストです。

最後にご紹介するのは御朱印です。帰りに自転車を置いた平賀公会堂でお願いしました。その日は御朱印を書く方が不在とのことで、取り置きのものに日付だけ入れて頂きました。品のある御朱印ですね。

以上で、出雲の一日目は終了です。
揖夜神社と黄泉比良坂の何れも、古事記の世界が現代に続いていることを感じることができる趣のある場所で、参拝できて本当によかったと感じました。
出雲の二日目は「日本初の宮」として知られる「須我神社」の参拝記をお伝えします。
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