【第8回】 玉のように美しく輝いて谷を渡った神様を祀る古社~高鴨神社(2025/10/29)

古事記に登場する神社・史跡を回る旅の第8回は、奈良盆地の最南端にある高鴨神社です。
当神社は公式HPによると「全国鴨(加茂)社の総本宮で弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つ」です。
主祭神の阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)の別名は迦毛大御神(かものおおみかみ)ですが、古事記で大御神と名のつく神様は天照大御神・伊邪那岐大御神の三神しかおられず、死した神々も甦らせる事ができるご神力の強い神様とのことです。

コンテンツ

行程

今回の行程は以下の通りですが、大阪から電車・バスを乗り継ぎ、最後は15分ほど歩きました。
JR和歌山線や奈良交通のバスは本数が少ないので、可能な方は自動車で行くのがよいと思いました。

(8時34) 大阪駅発 → (8時51分)JR環状線にて鶴橋駅着→ (9時20分)近鉄大阪線にて大和高田駅着→ (10時13分) JR和歌山線にて北宇智駅着 → (10時26分) 奈良交通バス 住川バス停発 →(10時31分)風の森バス停到着 →( 10時45分~)高鴨神社参拝 → (11時10分)御朱印を頂く → (11時15分~)そば小舎で昼食 → (11時50分~)葛城の道 歴史文化館を見学 → (12時31分)奈良交通バス 風の森バス停発 → (13時9分)近鉄大和高田駅着

古事記との関連

高鴨神社の主祭神は、阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)、別名は迦毛大御神(かものおおみかみ)です。

古事記によると以下の通り、大国主神(おおくにぬしのかみ)と多紀理毗売命(たきりびめのみこと)との間に生まれました。大国主神は国津神の代表的な神様で、国作りを行い、その後国譲りをした神様として有名です。一方、多紀理毗売命は須佐之男命との誓約(うけい)において、天照大御神によって須佐之男命の身につけていた十拳剣から生まれた神様で、宗像大社の三女伸の一人として知られています。従って、阿遅志貴高日子根命は最も有名な国津神と、最上位の天津神の子供から生まれた神様ということになります。→宗像大社についてはこの第1回のブログで参拝していますので興味があればご覧ください(→リンク)。

また、別名の迦毛大御神(かものおおみかみ)の「迦毛」は奈良県御所市鴨神を指し、阿遅志貴高日子根命を奈良の葛城の鴨に鎮座させたことからお名前が変わったようです。(出所:國學院大學・古典文化学事業


なお、公式HPと以下の古事記でお名前の漢字が微妙に異なるのは古事記や日本書紀ではよくあることで、音(おと)が初めにあって、漢字で表記する際にその音に合う漢字を当てはめたことによります。

【上つ巻】八千矛神(やちほこのかみ)の歌物語
大国主神が、胸形(宗像)の奥津宮(おきつみや)にいらっしゃる神、多紀理毗売命(たきりびめのみこと)と結婚してお生みになった子は、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)、次に妹の高比売命(たかひめのみこと)。別名下光比売命(したてるひめのみこと)。この阿遅鉏高日子神は、今、迦毛大御神(かものおおみかみ)と言っている。
(引用文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)

その後古事記に阿遅志貴高日子根命が再度登場するのは以下の場面です。

これは国譲りの物語の一部分で、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するために高天原から派遣された天若日子(あめのわかひこ)は任務を放棄して8年間も報告せず、更にはそれを不審に思って天照大御神が遣わした雉を矢で射殺したため、雉を射た自らの矢が天から天若日子に投げ返されて命を落とします。悲しんだ家族が弔いをしているところに、阿遅志貴高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)が弔問にやって来た様子が描かれています。

天若日子に間違えられた阿遅志貴高日子根神は怒って帰ってしまいますが、妹の高比売命(たかひめのみこと)は兄の名を明らかにしようとして歌を読みます。意味は少しわかりにくいですが、日本書紀によると「阿遅志貴高日子根神の容姿は美しく端正で、二つの丘、二つの谷に渡って光輝いていた」様子を描いた歌とのことです。

【上つ巻】天菩比神(アメノホヒ)と天若日子(アメワカヒコ)
阿遅志貴高日子根神がやって来て、天若日子(あめわかひこ)の喪を弔った時に、天から降って来た天若日子の父と天若日子の 妻などが皆泣いて、「我が子は死なずに生きていた」「我が夫は死なずに生きていらっしゃる」と言って、手足に取りすがって大声で泣きいとおしがった。これが間違いであったわけは、この二人の神の容姿が非常によく似ていたからである。それで間違えてしまった。ところで、阿遅志貴高日子根神はひどく怒って、「自分は親しい友だちである。だからこそ弔問に来た。それなのにどうして自分を穢らわしい死人に見間違えるのか」と 言って、腰に下げておられる十掬の剣を抜いて、その殯屋を切り倒し、足で蹴飛ばしてしまった。
このように阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去った時に、その同母妹の高比売命(たかひめのみこと)は、兄神の御名を明らかにしようと思った。そして歌って言うには、
 (あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の 
 (うな)がせる 玉の御統(みすまる)
 御統(みすまる) 足玉
(あなだま)はや
 み谷 二渡
(ふたわた)らす 
阿遅志貴高日子根神そ
(引用文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)

御祭神

当神社の御祭神は以下の通りです。阿遅鉏高日子根神は既にご説明しましたが、最後の天稚彦命(あめのわかひこ)と下照姫命(したでるひめのみこと)も上述のエピソードで登場しており、天稚彦命阿遅鉏高日子根神が弔問する友人で、下照姫命は歌を読んだ高比売命(たかひめのみこと)の別名で、阿遅鉏高日子根神の妹です。

事代主神(ことしろぬしのかみ)は古事記では大国主神(おおくにぬしのかみ)と神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)との間で生まれとされていますので、阿遅鉏高日子根神の異母兄弟となります。阿治須岐速雄命に関しては調べてもよくわかりませんでした。

阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)
事代主命
阿治須岐速雄命
下照姫命・天稚彦命

参拝の記録

高鴨神社までの移動

高鴨神社へのアクセス方法は、電車で行く場合、公式ホームページでは『近鉄「御所駅」下車、奈良交通バス「五條バスセンター」行きに乗車「風の森」バス停下車。そこから徒歩15分』となっていますが、「風の森」停留所までのルートは色々ありますので、Google Mapの経路機能を利用して、出発場所・時間に応じたルート選択をするとよいと思います。

今回は、冒頭に記載の通り、近鉄、JRを乗り継いで、奈良交通バスの「住川」という停留所から奈良交通バスに乗り、「風の森」バス停で下車しました。以下の時刻表の通りバスの本数が1~2時間に1本と少ないので、帰りのバスの時刻も確認して、それに合わせて行動することをお勧めします。

バス停から約15分程度かかりましたが、天気がよく暑くもなかったため、遠くの山を見ながら気持ちよく歩きました。

路は概ね一本道ですし、要所では以下のような立札があるので迷うことはないと思います。

15分弱歩くと、見事に聳える木々の間に、高鴨神社の赤い鳥居が見えてきました。

高鴨神社の境内

品のある鳥居から中に入ります。

この鳥居の左手にわかりやすい案内図がありました。内部は結構シンプルで、鳥居をくぐって直進すれば拝殿に到着します。左右に摂社がありますが、左手の池沿いの道は風情がありました。

赤い鳥居をくぐると、正面にまた鳥居があり、その上に拝殿があります。右手にはご神木が見えます。

ご神木の大杉です。下から見上げると、その大きさが実感できました。

二つ目の鳥居から見上げると正面が拝殿です。別な方のブログによると、「撮影禁止と書いてありますが、宮司さんに聞くと石段の下からならいいそうです・・」との情報がありましたので、拝殿・本殿の写真はここまでにしました。

御朱印

お参りをした後に社務所で御朱印を頂きました。この日は祭典があり、書く人はそちらに出席して不在とのことで、書置きを頂きましたが、模様がとても美しいです。後で調べたら、当日は秋季大祭(旧暦重陽の節句)でした。

御朱印を頂いて、拝殿の左手の階段から降りる途中に、下に池が見えましたが、紅葉が始まったところでした。

稲荷神社などの摂社

左の階段を下って、池沿いの小径を歩くと様々な摂社が現れます。

正面に小さく赤い鳥居が見えるのは稲荷神社です。鳥居が続く階段を昇ってこちらにもお参りしました。

西神社にもお参りして帰り道です。この池沿いの小径は静寂に包まれてとても気持ちがいいので、是非、歩いてみることをお勧めします。

最後にこの舞台から池と拝殿を遠望して、高鴨神社の参拝を終了しました。

そば小舎(鴨神そば)/ 葛城の道 歴史文化館

参拝が終わって鳥居から外に出た後に、まだバスまで時間があったので、高鴨神社の西側に隣接する「そば小舎」で昼食を取ることにしました。神社の案内図に表示のあった「葛城の道 歴史文化館」にも立ち寄ることにしました。

最初は「葛城の道 歴史文化館」がどこにあるのかわからなかったのですが、近づくと「そば小舎」の中にあることがわかりました。

お品書きは以下の通りです。高鴨神社に参拝した後なのでもちろん「鴨汁そば」を注文しました。

素朴な見た目ですが、暖かいつけ汁と一緒に美味しく頂きました!

食事の後に、隣の部屋にある「葛城の道 歴史博物館」を見学しました。小ぶりな展示でしたが、結構楽しめました。

その後、また15分ほどバス停まで歩いて、そこからバス・電車を乗り継ぎました。Google Mapを調べた結果、今度は終点の近鉄大和高田駅までバスで行った方がよいとの結果が表示されましたので、行きとは違ったルートで帰りました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

コンテンツ