【第4回】住吉大社~商都大阪の矜持を感じる大社 (2025/7/23)

第4回は前回ののどかな香具山とは一転して、大阪の賑わいの中にある住吉大社に参拝してきました。住吉大社は神功皇后摂政11年(西暦推定211年)に住吉大神を住吉の地に鎮斎したことから始まったとされる、日本で最も古い神社の一つで、全国に2,300社余ある住吉神社の総本山です。(→公式HPリンク

約1時間半をかけて以下の順に廻りました。

(8時5分) 南海本線住吉大社駅到着 → (8時10分) 住吉大社入口両側の石燈籠を見学 → (8時20分)反橋(太鼓橋) → (8時25分~) 住吉大社の四つの本殿を参拝 → (8時40分) 御朱印を受領 → (8時50分) 種貸社参拝→(9時)大海神社(だいかいじんじゃ)参拝→(9時10分)楠珺社(なんくんしゃ)参拝→(9時25分)大歳社(おおとし しゃ)参拝し「おもかる石」を試す→(9時35分)五所御前(ごしょごぜん)で「五大力石」を探す

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古事記との関連

古事記に住吉大社が出て来るのはまず以下のパートです。黄泉の国から逃げ帰った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、身についた穢れを取り除くために、九州の筑紫の日向(ひむか)の橘行って禊(みそぎ)をされた際に様々な神様が生まれますが、水に身を沈めてすすいだ際にお生まれになった三神が住吉大社の大神です。

【上つ巻】伊耶那岐命と伊邪那美命 [禊(みそぎ)]
次に水の底でお滌ぎになった時に出現した神の名は、底津綿津見神。次に底箇之男命。水の中ほどの深さでお滌ぎになった時に出現した神の名は、中津綿津見神。次に中箇之男命。水面でお滌ぎになった時に出現した神の名は、上津綿津見神。次に上箇之男命。その底箇之男命・中箇之男命・上箇之男命の三神は、住吉大社の三座の大神である。
(参考文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)より

続いて時代は下って仲哀天皇の時代に、新羅への親征を巡る場面で再び住吉大社の三大神が登場します。また、住吉大社の第四本宮の祭神である仲哀天皇の皇后である神功皇后が、住吉大神の加護を得て新羅を平定し、無事海を渡って新羅から帰還することができたことが記されています。住吉大神は古くから海上の守護神とされ、多くの船乗りや漁師が海上安全を祈願するために訪れましたが、その由来はこの逸話から来ているのでしょう。

【中つ巻】仲哀天皇 
[天皇の崩御と神託]
神は、「おしなべてこの国は、皇后の胎内にいらっしゃる御子の統治なさる国である」とおっしゃった。そこで、建内宿祢が、「恐れ多くも我が大神、大神の依り憑いておられる皇后の胎内においでの御子は、どちらの子でしょうか」と申すと、大神が答えて、「男子である」とおっしゃる。そこで、宿祢は仔細に大神に願い求めて、「今このように教え諭される大神は、どなたでいらっしゃるのか、その御名前を知りとうございます」と申すと、答えるに、「この託宣は天照大御神の御心意である。また我は、住吉の底箇男・中箇男・上箇男の三大神である。
[神功皇后の新羅親征]
そして皇后は、御杖を新羅の国王の城門に衝き立て、住吉大神の荒御魂を国を守る神として祭り鎮めて、海を渡り帰還なさった。
(参考文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)より

参拝の記録

出発点の南海本線の住吉大社駅です。プラットホームから住吉大社の樹木が見えました。

駅の階段を下りると、住吉大社の案内図がありました。見どころが多い社であることがわかります。

駅を出て少し歩くと社の入り口です。鳥居と反橋(太鼓橋)が奥に見えます。社号碑が立派で迫力がありました!

石灯篭

入口から入る前に少し周囲を歩きました。すごい数の石灯篭が立ち並んでいて壮観でした。北前船などで海上交通が盛んになった江戸時代以降、舟運業者や船荷を扱っていた商人たちが寄進したとのことです。

鳥居も立派です!狛犬も迫力がありました。

住吉大社は遣唐使進発の地だという石碑がありました。かつての住吉大社は眼前に青い海と白い砂浜が広がっている風光明媚な場所で、遣唐使は住吉の地から船出していたとのことです。驚きました!

反橋(太鼓橋)

水面に映る様子から太鼓橋とも呼ばれていて、住吉神社のシンボルです。写真で見るとわからないかも知れませんが、かなり急な階段で、上りより帰る際の下りの方が怖く感じました。

反橋を渡ると左手に手水舎であります。ウサギの口から水が出ているのは珍しいと思いました。住吉大社の御鎮座(創建)が神功皇后の摂政11年(211年)の「卯」年「卯」月「卯」日であるご縁によるものだそうです。

本宮

いよいよ本宮域に入ります! 入口の幸寿門前に石造の角鳥居は珍しい角柱の鳥居です。

入口を入ると、第三本宮と第四本宮が横に並んでいます。

左斜めから見ると第三宮の奥に第二本宮、第本一宮も見えます。ホームページでは、「第一・第二・第三本宮が縦直列、第三・第四本宮が横並列という独特の配列はあたかも大海原をゆく船団のように本宮がならぶ」と紹介されていました。この壮観な様子に、江戸時代まで商都として栄えた大阪の矜持を感じました。

ここから順にさっそくお参りです。公式ホームページによると「第一本宮~第四本宮は特に参拝の順番はなし」とのことでしたが、番号順に一番奥の第一本宮からお参りしました。1810年(文化7年)に造られた「住吉造」と称される本殿は神社建築史上最古の様式の一つで、四本宮すべての本殿が国宝に指定されているとのことです!

柱は朱(丹)塗り、板壁は白色の胡粉 (ごふん) 塗りです。

本宮は一見すべて同じに見えますすが、『千木(ちぎ)』と呼ばれる、神社建築の屋頂等において交叉した木に違いがあります。具体的には、第一・第二・第三本宮の千木は先端が垂直に切られ、第四本宮本殿の鰹木のみ先端が水平に切られています。これは、祀られている神様が男神の場合は垂直、女神の場合は水平に切られるという古来の慣習(出雲系神社に由来する説あり)に従ったもので、神功皇后を祀る第四本宮が女神であることを示しています 。
下の写真は左が第三本宮、右が第四本宮ですが、千木の違いがわかりますでしょうか?

御朱印を受領

本宮全ての参拝終了後に御朱印を頂くことにしました。御朱印の受付時間は9時からとのことでしたが、8時半過ぎには窓口が開いていましたので、お願いすると問題なく頂くことができました。

種貸社(たねかししゃ)

続いて住吉大社の末社の一つ、種貸社にお参りしました。公式HP(→リンク)によると、「資金調達・子宝・知恵を授ける神として信仰されており、『延喜式』の神名帳に「多米神社」と記載される歴史のある古社」とのことでした。

古社とのことですが、種貸社は鳥居も含め真新しく、とてもきれいな神社だと感じました。

鳥居をくぐると右手に「一寸法師の碑」がありました。公式HP(→リンク)によると、「昔話で有名な『一寸法師』は、実は住吉大神の申し子で、子供に恵まれない老夫婦が住吉の神様に祈願すると子供が授かった」とのことでした。

更に進むとど真ん中に「百度石」が鎮座しているなど、古社とは思えない賑やかで楽しい社でした。

大海神社(だいかいじんじゃ)

続いて、住吉大社の摂社の一つ大海神社に足を伸ばしました。種貸社にお参りしている際に、その奥に雰囲気のある社の千木が見えたので行ってみました。
摂社の中でも最も社格が高く、住吉の別宮、住吉の宗社と称えられ古代の祭祀においても重要視された神社で、祭神は、海幸山幸神話の海宮の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱をお祀りしています(HP→リンク)。最近「日本書紀」で、天孫の妻になって子供を産んだ豊玉姫の少し哀しい物語を読んだばかりだったので、身近に感じました。

人が多い住吉大社とは違い参拝者が殆どいなくて、とても静かにお参りができます。

西門(重要文化財)です。雲間から日が差して荘厳です。

社殿は、本社と同じ「住吉造」の本殿で、四本宮よりも古く宝永5年(1708)に造営されたものです。幣殿、渡殿、西門と共に重要文化財に指定されています。

楠珺社(なんくんしゃ)

続いて住吉大社の宮内に戻って、末社の楠珺社に参拝しました。初辰まいりの中心的な神社で「はったつさん」と親しまれ、古くより商いを営む方から篤い信仰を受けているとのことです(→公式HPリンク)。

樹齢1000年を超えるクスノキがあり、人々は大樹の神秘的な霊力に祈りを捧げてきました。やがて、根元に設けられた祠に神様をお祀りするようになり、神木から神社へと発展したといわれています。

それほど大きい社ではありませんが、周辺の至る所に初辰まいりの幟が立っており、人々の厚い信仰を受けている場所だと感じました。

大歳社(おおとし しゃ)

末社の最後として、「おもかる石」のある大歳社にも参拝しました。第一本宮から石舞台を渡り、一旦外に出たのでこのルートで正しいかなと少し不安になりましたが、朝澤社の奥にありました。

大歳社は、初辰まいりの締めくくりに参拝する慣わしで、心願成就を祈願する神社とのことです(→公式HPリンク)。

こちらをお参りして右手に入ると、「おいとしぼし社」という小さな祠(ほこら)が祀られており、願い事が叶うか否かを占う霊石の「おもかる石」があります。

占い方法は、まずお参り(二拝二拍手一拝)して、石を持ち上げ重さを確認。次に石に手を添えて願掛けをして、もう一度石を持ち上げます。2回目に持ち上げた方が軽く感じればその願いは叶うとのことです。石はどれか一つでもよいし、3つすべて試してもよいそうです。

私は、願いが叶わないと言われるのが怖いので願掛けはせず、1回だけ真ん中の石を持ってみましたが、結構重かったです。これが2回目に軽く感じたら、本当に願いが叶いそうですね!

この後、住吉大社に戻り、五所御前(ごしょごぜん)で「五大力石」を探して、帰途につきました。

住吉大社の訪問記録はこちらで終わりです。

住吉大社にお参りしたのは初めてですが、古社としての歴史や威厳を保ちつつも、商売繁盛や心願成就を祈る人々の厚い信仰が現代でも深いことを感じさせる、勢いがあって素晴らしい社だと思いました。是非、機会を見つけて再訪したいです。

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