古事記に登場する「神社・史跡を回る旅」の第11回は、前回の伊弉諾神宮に続いて淡路島を訪れ、おのころ島神社にお参りしました。
当神社の名称は正式には自凝島神社と漢字表記になりますが、公式ホームページでもひらがな表記にしていますので、それにならうことにします。
旅の行程
前回と同様、電車で神戸の三宮まで行き、そこから神姫バスの高速バスに1時間20分程度乗って最寄りの停車場で降り、そこから約15分歩くと神社に到着しました。往きは三宮の高速に乗る手前で軽い渋滞があり、到着は予定時刻より10分ほど遅くなりました。
(9時20分)神姫バス 神戸三宮BT(バスターミナル)より福良行きに乗車 → (10時40分)榎列バス停到着→ ( 10時59分~)おのころ島神社参拝 → (11時20分)御朱印を頂く → (11時27分)「原口製菓」でおのころ饅頭などを購入→(11時50分)「喜久」でランチ → (12時59分)神姫バス 榎列バス停発 → (14時15分)神戸三宮BT(バスターミナル)着
古事記・日本書紀との関連
古事記によると世界の始まりにおいて、固まった大地はありませんでした。そこで伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)は、以下引用のように天の浮橋から最初の島を作ります。その島の名前が「おのころ島」で、二柱の神様がその島に天下りすると、天の御柱(みはしら)が立ち、その場所でお二人は「国生み」をします。従って「おのころ島」は日本を生んだ場所であり、公式ホームページに「日本発祥の地」と記されているのはそのためです。
「おのころ島」を漢字表記すると自凝島神社となりますが、これは以下引用にあるように「したたり落ちた塩」が自ら凝固してできた島という意味だと思います。(なお、古事記では「おのころ」ではなく「おのごろ」と濁点がついた読み方となっています)
古事記~【上つ巻】伊耶那岐命と伊耶那美命~おのごろ島
そこで天の神々の仰せによって、伊耶那岐命・伊耶那美命の二神に、「この漂っている状態の国土を繕い、しっかり固定しなさい」と仰せになり、天の沼(玉)矛をお与えになって委任なさった。そこで二神は、天に懸かる浮き橋の上にお立ちになって、その玉矛を下界へさし下して攪き回されると、海水は攪くたびにコオロコオロと音を立てて、矛を引き上げるときにその先からしたたり落ちた塩が累なり積もって島ができた。これが淤能碁呂島(おのごろしま)である。二神はその島に天降りなされて、高天原の象徴の御柱はこことお決めになると、そこにパッと柱が立ち、立派な宮殿をパッとお建てになった。
(引用文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)
続いて日本書紀からの引用も紹介します。日本書紀でも古事記と同様に二柱の神様が天の浮橋から矛を降ろして、その矛から滴り落ちた潮が固まって「おのころ島」になったとされています。
日本書紀~【神代(上)第四段】国生み
伊弉諾尊と伊弉冉尊は、天の浮橋(あまのううきはし)にお立ちになり、ともに語らい、「下の世界の底にはきっと国があるだろう」とおおせられた。そこで、天の瓊矛(あまのぬぼこ)をさし降ろして探られたところ、青々とした海を得た。
その矛の先から滴り落ちた潮は、固まって一つの島になった。名付けて磤馭慮嶋(おのごろじま)という。二柱の神は、その島に降り、夫婦となって国土を生もうとされた。
そこで磤馭慮嶋を国の中心の柱として、陽神(をかみ)は左から、陰神(めかみ)は右から、国の柱を巡って、反対側で出会われた。
(参考文献)寺田 惠子. 日本書紀 全現代語訳+解説 <1> 神代 ー 世界の始まり ー (グッドブックス)
御祭神
御祭神:伊弉諾命(いざなぎのみこと)
:伊弉冉命(いざなみのみこと)
合 祀:菊理媛命(きくりひめのみこと、別名くくりひめのみこと)
当神宮の御祭神はこの地で国生みをされた伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱の神様です。当神社の公式HPには「みこと」の漢字に「命」を当てていますので、上記にはそれに合わせて記載しました。
また、合祀されている菊理媛命は日本書紀で以下の場面に登場します。これは黄泉の国から逃げてきた伊弉諾尊が泉津平坂(よもつひらざか)で伊弉冉尊に追いつかれて口論になった際に、菊理媛命ともう一人の神様が仲裁する場面です。この経緯から菊理媛命は男女の仲を取り持つ縁結びの神や事業の商談成立の神といわれています。ただ、菊理媛命が何を言ったのかが記されていないのが面白いです。
日本書紀~【神代(上)第五段】神々の誕生 一書(第十)
その妻と泉津平坂(よもつひらざか)で争われたとき、伊弉諾尊は「はじめに我が妻のために悲しみ偲(しの)んだのは、私が弱かったから」とおっしゃった。このとき、泉守道者(よもつもりびと)が申し上げた。「伊弉冉尊のお言葉があります。『私は、あなたと国を生みました。どうしてこれ以上生きることを求めましょう。私はこの国に留まります。あなたとともに行くことはできません』と。折しも菊理媛命もまた申し上げることがあった。伊弉諾尊はそれを聞いて喜ばれ、そして別れ去って行かれた。
(参考文献)寺田 惠子. 日本書紀 全現代語訳+解説 <1> 神代 ー 世界の始まり ー (グッドブックス)
参拝の記録
おのころ島神社までの移動
三ノ宮駅を降りて、神姫バス神戸三宮BTから、9時20分発の高速バスの福良行に乗りました。交通系ICカードがあれば、事前に切符を購入する必要はありません。
予定では神社の最寄りの榎列停留所に10時31分に到着予定でしたが、三宮から高速に乗る前に軽い渋滞がありましたので、10分弱到着が遅れました。

高速道路の下をくぐって、帰りのバスの停留所に行って時刻表を確認しました。基本は1時間に1本ですが、2本の時間帯もあります。

グーグルマップによると神社までは徒歩15分と表示されていました。川沿いの道を歩いていると、巨大な赤い鳥居が見えて来ました。


おのころ島神社到着
神社に近づくにつれて、鳥居の巨大さがわかって来ました。横を走る車と比較するとよくわかります。

今回はトイレなどに寄り道したため20分近くかかりましたが、普通に歩けば15分以内に到着すると思います。正面から鳥居を見ると下を歩いている人が小さく見え、改めて偉容に圧倒されます。

境内でお参り
こじんまりした神社ですので、大鳥居をくぐると手水舎があり、階段を昇るとすぐ目の前に神楽殿と御本殿があります。その右手に鶺鴒(せきれい)石がありました。
伊弉諾尊と伊弉冉尊は、この石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て夫婦の道を開かれ、国生みをされたとのことで、縁結びの起源として有名とのことです。日本書紀を調べてみると、第四段「国生み」の別伝一書(第五)にそのような記述がありました。
赤い縄と白い縄がありますが、「新しい出会いを授かりたい」、「今の絆をより深めたい」など祈る人の立場によって縄を握る順番が異なりますので、私も説明を読んでから縄を順に握って夫婦円満のお祈りをしました。

続いて神楽殿でお参りをしました。建物自体はこぶりですが、右手前の「日本発祥 おのころ島神社」という石碑にこの神社の重みを感じました。

神楽殿の右手に廻るとご神木がありました。残念ながら倒れてしまったようで、折れた夫婦松が置かれていました。


神楽殿の横を通って奥に進むと、柵の向こうに御本殿が見えました。

八百萬神社参拝
御本殿の裏に廻ると、八百萬神社があります。御祭神の二柱の神様は「国生み」に続いて「神生み」をされましたが、この神社ではそこで生まれた御子等の神々を八百萬神としてお祀りしているとのことです。そう聞くとありがたい場所だなと思い、こちらも参拝しました。

八百萬神社から本殿の横を通って神楽殿に戻る小径です。光が斜めに径に差し込み、少し見えにくいですが、右手の木に白い花が咲いてきれいでした。

御朱印
参拝が終了したので、社務所で御朱印を頂くことにしました。

御朱印は5種類がありましたが、一番左のシンプルなもの以外は書き置きを渡すとのことでした。

通常はその場で書いて頂きますが、今回はピンクの桃の花がきれいだと思ったので、書き置きを頂きました。

おのころ 原口製菓
参拝終了後、グーグルマップのくちこみで「日本発祥の地”おのころ名物まんじゅう”が何種類もあります」とコメントがあった「おのころ 原口製菓」に立ち寄ってみました。神社からは歩いて4分くらいでした。

色々なお菓子がありましたが、店主と思われる女性の方に丁寧に説明頂き、3つ選んで購入しました。帰宅してから妻と半分ずつ食べましたが、どれも餡のボリュームがたっぷりでおいしかったです。

喜久でランチ
ランチはグーグルマップで評価の高かった「喜久」で頂きました。メニューは日替わりランチ900円のみです。
混んでいるというコメントがあったの心配しましたが、運よくカウンターが1席だけ空いていました。

今日の日替わりランチは肉豆腐・小鉢数種でした。驚いたのは小鉢の多さで、お刺身・サラダ・茶わん蒸しなど7種類もありました。どれもひと手間かけて味にアクセントがあり、ボリュームだけではなく美味しさにも感動しました。


以上で参拝の記録は終了です。
おのころ島神社は圧倒される大きさの鳥居を除くとこじんまりとした神社でしたが、古事記・日本書紀に記された神話のエピソードが、このような形で現在まで伝わっているということ自体がすごいと思いました。

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