2025年6月30日(月)に香具山とその周辺の神社を参拝してきました。香具山は風土記には天から降ってきたという伝承が残り、大和三山の中で最も神聖視された山で、「天の香具山」とも呼ばれます。
当初は古事記に登場する香具山と畝尾都多本神社だけ行こうと考えていたのですが、香具山周辺には他にも歴史のある神社があることがわかり、畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)、天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、香具山山頂・国常立神社(くにとこたちじんじゃ) 、天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)の順に徒歩で巡りました。
また、少し時間があったので、奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室にも立ち寄りましたが、こちらもなかなかよかったです。
(9時00分) 近鉄大阪線耳成駅から徒歩で出発 → (9時30分) 畝尾都多本神宮 → (9時54分)天岩戸神社 → (10時20分) 香具山山頂・国常立神社 → (10時30分) 天香山神社 → (11時) 奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室
古事記との関連
香具山と畝尾都多本神宮に関連して古事記には、国生みの後、伊邪那美神が火の神を生んでお亡くりになった際の様子が以下のように記されており、伊耶那岐命が妻の死を悲しんで涙を流した際に出現した神様、「泣沢女神(なきさわめのかみ)」が、現在の橿原市木之本町に所在する畝尾都多本神社に祀られている由来となっています。
【上つ巻】伊耶那岐命と伊邪那美命
「こうしたことがあって、伊耶那岐命は、「いとしい我が妻よ、おまえを子の一匹などと引き替えにできようか」とおっしゃるのであった。伊耶那岐命が、横たわる妻の御枕の方へ腹這い、御足の方へと腹這って声をあげてお泣きになった時に、御涙に出現した神は、香山の畝尾の木本に鎮座していらっしゃる、名は泣沢女神である。」
(参考文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)より
また、以下は有名な「天の岩戸(あめのいわと)」の場面で、香具山の樹木や鹿を使って、天の岩戸に引き篭った天照大御神に対する儀式の準備をしたことが描かれています。私は以前行った高千穂の天岩戸神社が天の岩戸の所在地だと思っていましたが、古事記の記述を読んで香具山近辺であっても全然おかしくないと思いました。
【上つ巻】天照大御神と湏佐之男命~天の岩屋
天の香山の男鹿の肩胛骨をまるごと抜きとって、天の香山のははか(朱桜(にわざくら))の木の皮でその骨を灼いて占いをさせ、天の香山の枝葉の茂った榊を根こそぎ掘り取って、上の枝には大きな勾玉の連珠を着け、中ほどの枝には八尺の鏡をかけ、下の枝には楮の布と麻の布の祭具を垂らし下げ、これらさまざまの物は、布刀玉命が立派な捧げ物として奉り、天児屋命が立派な祝詞を寿ぎ申して、天手力男神が石屋戸の傍らに隠れ立って、天宇受売命が天の香山の日影蔓を襷にして、真柝という蔓草を髪飾りとして、天の香山の小竹の葉を採り物に束ね、天の石屋の戸の前に桶をふせて踏み鳴らし、神が乗り移った状態で、乳房をあらわに取り出し、下衣の紐を陰部まで垂らしたのである。
(参考文献)中村 啓信. 「新版 古事記 現代語訳付き」 (角川ソフィア文庫)より
参拝の記録
近鉄大阪線の耳成駅から出発しました。朝9時なのに快晴で、気温は既に31度と真夏並みの暑さでした。ここから南に30分ほど歩くことになります。

20分ほど歩くと、香具山がくっきりと見えてきました。道中は陰になる建物がなく太陽が強烈に照り付けて、日焼け止めクリームを持ってこなかったのが大失敗でした。

畝尾都多本神社
25分ほどで左手に木立が見えて来ました。畝尾都多本神社の入り口です!

入り口に到着です。奥に石の鳥居が見えました。

入り口付近には、本居宣長が古事記伝の中で当神社について記した碑がありました。

鳥居を抜けて左手に向かうと、小ぶりな拝殿がありましたので、早速お参りしました。

当神社には神殿はなく、玉垣で囲んだ空井戸がご神体となっています。拝殿の裏側に廻ると、玉垣で中に入ることはできませんでしたが、遠目にご神体を拝みました。

天岩戸神社
続いて、当初予定にはなかった天岩戸神社にも足を伸ばすことにしました。畝尾都多本神社を出て更に南下します。ただ日射しがあまりにきついので、以下の標識を見て香具山伝いのルートの方が日影があるのではと思い、左折しました。

田んぼの間の道を歩くと香具山の登山道に入ります。

しばらく歩くと分岐点に到着しました。正面の階段が香具山山頂へのルート、右に行くと天岩戸神社、左に行くと天香具山神社になります。今回は天岩戸神社を目指しますので、右に曲がりました。

このルートは左右の樹木で木陰ができていましたので、アップダウンはありましたが、選んで正解でした!

分岐点から数分で平地に戻り、天岩戸神社へ向かう標識が現れました。

畝尾都多本神社から15分くらいで天岩戸神社に到着しました!

鳥居をくぐるとすぐ小ぶりな拝所に到着しました。こちらの神社もご神体としての神殿はなく、拝所のみという古代人の原始的な祭祀形態を残しているとのことです。

拝所の裏手には真竹の間に巨石四個があり、天照大神が幽居したところと云われています。

香具山山頂・国常立神社~虫に注意!
来た道を戻って再び分岐点に戻りました。今度は香具山山頂に向かいます。

ここからは暫く上り道が続きますが、悩まされたのは蚊の襲来です。歩いているとしつこく蚊の羽音がまとわりついてきて腕を振り回しながら歩きました。他の人のブログに虫が多いとあったので、アースの虫よけスプレーを腕や首筋に振りかけていましたが、一か所も刺されなかったので大正解でした!

分岐点から数分で山頂の国常立神社(くにとこたちじんじゃ)に到着しました。見ての通りとても小さいお社です。ご祭神の国之常立神(くにのとこたちのかみ)は古事記では、天地創成の際の特別な神としてあらわれてすぐ身を隠してしまいます。香具山の頂上に何故祀られているのか経緯を知りたかったのですが、見つかりませんでした。

天香山神社
香具山山頂から天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)に向かいます。約5分ほどの下り道ですが、ひざ痛持ちの私には下り道の方がきつかったです。

香具山頂上から来たので、私は横道から入ったのですが、通常はこちらの鳥居から参拝になります。

鳥居をくぐって手水舎を過ぎると、階段の向こうに拝殿が見えました。

早速参拝をしました。当神社の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)で太占を司る神様とのこと。古事記には名前は見えませんでしたが、上掲した古事記の天の岩戸の場面で、「天の香山のははか(朱桜(にわざくら))の木の皮でその骨を灼いて占いをさせ」とありますので、占いと関係のある神様が祀られているのかも知れません。

波波迦の木(ははかのき)が植えられていました! 表示してある石柱は古そうなのですが、波波迦の木自身は小さいのはどうしてなのでしょうね。隣に令和の大嘗祭の際に当神社の波波迦の木を皇居の宮中に献進したとの碑がありました。古事記の神話が現代に直接繋がっているのが日本なんだなと感じました。


天香山神社を出て、香具山を下る途中で、香具山と同様大和三山の一つ「耳成山」の姿が綺麗に見えました。

奈良文化財研究所藤原宮跡資料室
帰りに少し時間があったため、行きに前を通り気になっていた「奈良文化財研究所藤原宮跡資料室」に立ち寄りました。「藤原宮跡」での発掘調査で出土した瓦、土器、木簡など、様々な貴重な資料が数多く展示されています。この資料室自体が藤原宮の一部だったそうです。無料で興味深い資料を見ることができるので、入ってよかったです。
以下の写真は藤原京とその後に遷都された平城京との位置関係や大きさがわかる資料ですが、藤原京が平城京と同じくらいの大きさだったとは驚きました。
(公式ホームページ)藤原宮跡資料室(外部リンク)

以上で終了です。今回参拝した神社は一つ一つは小さいものでしたが、それだけに参拝している人は少なく、香具山という歴史ある山の周辺をゆっくりと静かに巡ることができ、なかなか思い出深い場所になりました。
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