【第1回】宗像大社~日本最古の神社の一つ

このブログの記念すべき第1回は宗像大社です。2025年4月28日(月)に参拝しました。元々の九州に行く理由は、前日27日に福岡国際会議場で行われた青山繁晴参議院議員の独立講演会に参加することでしたが、せっかく福岡県まで行くのに日帰りはもったいないと考え、現在読み進めている古事記に関連する神社・古跡がないか調べたところ、日本最古の神社の一つの宗像大社があると知り、講演会当日は一泊して翌朝から参拝することに決めました。

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宗像大社について

宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つで、御祭神は、天照大御神とスサノオノミコトの誓約により生まれた三柱の女神が沖津宮、辺津宮、中津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。沖津宮がある沖ノ島は一般の立ち入りが禁止されているため、今回は辺津宮と中津宮を参拝しました。


・田心姫神 たごりひめのかみ・・・沖津宮(沖ノ島)
・市杵島姫神 いちきしまひめのかみ・・・辺津宮へつぐう(本土)
・湍津姫神 たぎつひめのかみ・・・・・・中津宮(大島)


詳しい由来などは、右リンクの公式HPをご覧ください。→宗像大社公式HP

古事記との関連

この神社は、古事記の上つ巻の天照大御神と須佐之男命の「誓約」の場面に以下の抜粋のように登場します。古事記の「上つ巻」は神話の時代が舞台であり、その時代に既に宗像大社があったと記載されているのは日本最古の神社と言われるだけのことはありますね。ただ、祭神について、沖津宮は同じですが、辺津宮と中津宮が入れ替わっているのは、様々な伝承があるためなのだろうと思いました。

【現代語訳】
「こうしたことがあって、それぞれ天の安の河を間に挟んで誓い言をした時に、天照大御神がまず建速湏佐之男命の腰に帯びる十拳の剣を求め取って、三つ折りに折って、その折った剣を玉の音もさやかに響かせ、天真名井の中に振り滌いで、それを口中に含み、嚙んではまた嚙みして勢いよく吐き出した息の霧に出現した神の御名は、多紀理毗売命(タギリビメノミコト)。別の御名は奥津島比売命(オキツシマヒメノミコト)という。次に市寸島比売(イチキシマヒメノミコト)。別の御名は狭依毗売命(サヨリビメノミコト)という。次に多岐都比売命(タギツヒメノミコト)。」
「こうして、先に生まれた神、多紀理毗売命は胸形神社(宗像大社)の奥津宮に鎮座していらっしゃる。次に市寸島比売命は胸形神社の中津宮に鎮座していらっしゃる。次に田寸津比売命は胸形神社の辺津宮に鎮座していらっしゃる。この三神は胸形君らがお祭りする三座の大神である。」

【訓読文】
「故尓しておのもおのも天の安河を中に置きてうけふ時に、天照大御神まづ建速湏佐之男命の佩ける十拳の釼を乞ひ度し、三段に打ち折りて、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌きて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、多紀理毗売命たきりびめのみこと、またの御名は 奥津嶋比売命おきつしまひめのみこと と謂ふ。次に市寸嶋比売命いちきしまひめのみこと、またの御名は狭依毗売命さよりびめのみことと謂ふ。次に多岐都比売命たきつひめのみこと。」
「故其の、先に生れし神、多紀理毗売命は、胸形の奥津宮に坐す。次に市寸嶋比売命は胸形の中津宮に坐す。次に田寸津比売命は、胸形の辺津宮に坐す。此の三柱の神は、胸形君等が以ちいつく三前の大神ぞ。」
【原典】古事記/中村啓信(訳注)、角川ソフィア文庫

スケジュール

平日ではあったが、なるべく人の少ない早朝に行こうと思い、前日は宗像大社に比較的近い古賀駅のホテルに宿泊し、早々に朝食を済ませてホテルを出発しました。本当は、宗像大社近くの「海の道むなかた館」も評判がよいようなので行きたかったのですが、月曜日は休館日だったので残念ながら断念しましたた。

7時56分~8時7分 (鹿児島本線)古賀駅→東郷駅
8時18分~8時28分 (西鉄バス) 東郷駅前→宗像大社前
本殿、第二宮、第三宮
9時~ 高宮祭場
9時半~ 神宝館
10時18分~10時34分 (西鉄バス)宗像大社前→神湊波止場
11時15分~11時40分 (フェリーおおしま)神湊→大島
中津宮、沖津宮遥拝所
13時~13時30分 (フェリーおおしま)大島→神湊

訪問記録

それでは、ここからは、実際に訪問した場所を訪問した順に辿って行きます。

こちらの写真は前泊したHOTEL AZ 福岡古賀店。博多のホテルの値段が高いので、なるべく宗像大社に近いホテルを探したところ、お手頃な価格のこちらが見つかりました。JR鹿児島本線『古賀駅』から徒歩約10分と少し遠いのですが、朝食付きで5,280円という破格の安さでコスパは最高でした。

辺津宮

ここからは、辺津宮の境内を順に巡っていきます。

宗像大社の入口の鳥居です。こちらから境内に入りました。平日の月曜日の朝ということもあり、境内に人は少なく落ち着いて参拝することができました
橋を渡っていると、左手の奥に花が咲いているのが見えました。
近くで見ると藤の花が満開でとてもきれいでした!
手水舎は大きな石から削り出された、立派なものでした。
いよいよここから本殿に入ります!
辺津宮本殿には額縁に入った絵が沢山掛けられていましたが、1680年に福岡黒田藩当主に
よって奉納された扁額36歌仙図だそうです
こちらは摂末社 (せつまつしゃ)です。本殿の周辺には大小のお社が24社あり、121の神様が
祀られています。由緒は古代律令制度まで遡るとのこと。詳しくは公式HPをご覧ください。
次は第二宮・第三宮です。第二宮には田心姫神、第三宮には湍津姫神が祀られており、沖ノ島、
大島まで行かなくても、この2つの宮まで詣でれば、宗像三宮を拝したと信仰されてきました。

左の写真は第二宮の正面、右の写真は第三宮を斜め横から見たものです。どちらも見た目はほぼ同じで、それほど大きい建物ではありませんが、この二つの社殿は伊勢神宮の別宮の旧社殿を移設したものとのことで、歴史的な繋がりを感じさせられます。

高宮祭場

高宮祭場は辺津宮から5分ほど歩く距離にありますが、市杵島姫神の降臨の地とされ、神籬(ひもろぎ)と呼ばれる社殿がない樹木の古代祭場です。
高宮には山頂の上高宮と、中腹の下高宮があり、上高宮には古墳が営まれ、下高宮では、沖ノ島を拝する祭祀が行われたと見られ、この下高宮が現在の高宮祭場にあたります。なお、上高宮には残念ながら登ることはできません。

高宮祭場には緩やかな坂を上って行きますが、この時間帯は人通りもまばらで、静寂の中を歩いていると、神域にいるんだなと実感しました。

高宮祭場に到着しました。神籬(ひもろぎ)と言われるだけに、樹木の他には何もありません。でも古代の人はここに神の存在を知り、祈りを捧げてきたと思うと、厳かな気持ちに包まれました。

神宝館

神宝館には沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されています。「海の道むなかた館」が休館だったのは残念でしたが、こちらも国宝だけでなく今回行けなかった沖ノ島のビデオ上映もされておりとてもよかったです。拝観料(施設維持協力金)800円の価値は十分ありました。

大島への移動

神宝館ではもう少しゆっくりしたかったのですが、10時18分のバスに乗るために、10時過ぎに神宝館を出てバス停に向かいました。この時間になると、平日月曜日とは言え参拝客が徐々に増えてにぎやかになっていました。

バスで大島行きのフェリーが発着する神湊港渡線船ターミナルまで行きます。ホームページには「神湊」と記載されていますが、下車するバス停は「神湊」ではなく「神湊波止場」ですので注意しましょう。15分くらいバスに乗車してターミナルに到着しました。

船の本数は2時間に1本くらいと、かなり少ないので、帰りのフェリーを何時にするか少し悩みましたが、結局13時大島発のフェリーで戻ることにしました。
出向15分前に乗船開始です。
フェリーは1階と2階デッキにわかれていますが、行きは2階デッキを選択しました。
目的地の大島が見えてきました。

中津宮(大島)

大島に到着したらターミナル内にある大島観光案内所へ直行し、レンタサイクルを借りました。
すべて電動アシスト付き自転車で料金は1回/1,000円でしたが、起伏が多いので電動アシスト付きは必須です。
電動自転車だと5分くらいで中津宮の入り口に到着します。

鳥居を二つくぐり、階段を上ると本殿に到着しました。

社殿の左手に「天真名井(あまのまない)」の案内板を見たので、おりてみることにしました
趣のある石段をくだります。
階段を下ると湧水が左手の天の川に流れ込む場所に到着しました。飲んでよいかはわかりませんでしたが、せっかくの機会なので、柄杓ですくって少しいただきました。他のサイトには長寿の効能があるとの記載もありました。

沖津宮遥拝所(大島)

旅の最後は沖津宮遥拝所です。大島の北側にあり、沖津宮の鎮座する沖ノ島を遥拝する拝殿として、昭和8年に再建されました。天気のいい日には、沖ノ島を見ることができるとのことでした。

中津宮から沖津宮遥拝所までは、電動アシスト付き自転車で10分強で到着しましたが、アップダウンがあるのでそれなりに体力を使いました。若い方なら問題ないでしょうが。。。

遥拝所に至る階段です。雰囲気があって気分が盛り上がりました。
正面から見るとこんな感じです。少し見えづらいですが、遥拝所の背景は海原です。
遥拝所の裏手に回って沖ノ島方面を眺めましたが、曇っていたせいか確認できませんでした。

以上で、宗像大社の訪問記は終わりです。

神宝館に行って、この地が韓国の釜山に最も近い場所にある大陸との交通の要所であり、大和朝廷の時代から沖ノ島が重要視されていた理由がよく理解できました。

宗像大社は、古事記の神話の世界が現代に繋がっている聖地だと思いました。

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